スメタナの死後、チェコの音楽はさらなる発展を遂げ、ついに世界に認められていった。それに大きく貢献したのがドヴォジャークである。ドヴォジャークはスメタナ率いる管弦楽団での修行を経たあと、本格的に作曲を始める。チェコの民族性と哀感がこめられた彼の作品は、次第に海外でも受け入れられていった。
1891年、ニューヨークのナショナル音楽院の院長就任の誘いを受け、新天地アメリカに旅立ったドヴォジャーク。51歳だった。
人種の坩堝であるアメリカで、民族の歴史や伝統をふまえた黒人霊歌やネイティブ・アメリカンの音楽に衝撃を受けた彼が作った音楽、それこそがあの有名な交響曲第9番“新世界より”である。アメリカでの経験が、祖国で目指したチェコ民族の音楽の確立という使命感と、ドヴォジャークの作曲意欲をいっそうかきたてたのである。
1893年12月16日、ニューヨークのカーネギーホールでの“新世界より”の初演は、空前の大成功をおさめた。拍手はいつまでも鳴り止まなかったという。チェコの音楽が世界に認められた瞬間であった。
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